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おはようございます。

今週は、34期の決算と35期がスタートしました。月曜日に全体会議をし、売上・利益などの報告。今年は残念ながら久しぶりの減収でしたが、来期の新しい指針と個人目標などを発表していました。一人一人の成長が、結果に繋がってくると考えると、今から少しワクワクしています。

また火曜日は、ネット事業部で7年頑張って働いて貰っていたメンバーの送別会でした。彼は、ネット販売をスタートした初期のメンバーで、軌道に載せてくれた功労者です。今回彼自身の夢の為に地球の裏側にある国、ボリビアへ行きます。最初に話を聞いた時は、大変驚きましたが、みんなで気持ちよく送り出すことができました。今後の彼の活躍を楽しみにしています。

さて、今日から35期がスタートしましたが、創業者がどんな想いで、ここまで事業を継続してきたのか、私からの視点で書いて見たいと思います。
目次目次

◆ どんな想いで仕事をしていたのかな。

◆ 成長し続けている会社

◆ まとめ

どんな想いで仕事をしていたのかな。

観光地に行けば、施設の室名札やピクトがどんな構造になっているのか、いつも触りたくなる衝動に駆られる(株)フジタの藤田です。

中小企業の事業継承は、親から子へのバトンタッチですが、なかなか難しい問題の1つと言われています。それは親子だからこそ、遠慮をしないコミュニケーションになっているからだと思います。どちらも会社を良くしたいという想いは変わらないはずなのですが、そこに向かう手段が違うのです。先週先輩経営者4人と会う機会があり、その1人が全くトラブルもなく上手くバトンタッチできたと話されていましたが、ごくごく稀だと感じます。殆どの二代目・三代目経営者は、仕事の進め方や会社の方向性で、葛藤があるのではないでしょうか?

その為、あまり父が創業した時の話を私自身深く聞いたことがありません。私の父の叔父が黒板メーカーを営み、そこの会社に中途入社したこと、製造から営業までバリバリ遅くまで仕事をしていたこと、従弟が入社しその後独立して黒板を販売していたこと、黒板の販売業者から室名札のメーカーに商売替えをしたことぐらいです。

独立して十数年は自宅兼会社であったこともあり、私はサラリーマンの家庭の父親よりも、仕事の中身が見えていたと思います。実際私が小学校高学年の時には、夏休みに現場の仕事の取付工事を手伝っていました。今では考えられませんが、小学生がヘルメットを被って、自衛隊の施設に、普通に穴をあけてビスで室名札を取付していましたから。今同じことをしていたら、建設会社は多分事業停止になるのではないでしょうか?(笑)

成長し続けている会社

そんな両親でしたが、社員を雇用することもなく、パートさん数名と共に、十数年経営をしていました。実際その時が一番儲かっていたと未だに言います。(笑)そして私が高校を卒業して数年後、会社を一緒に手伝わないかと誘われました。当時私はホテルで働いていたのですが、英語を話せないこともあり、自分の限界を感じていた時でもありました。一緒に働くことに抵抗もあったのですが、「儲かるよ」という言葉も魅力的でした。両親は両親で、息子が入社するのなら、自宅よりもということで、会社を新築しました。現在の京都本社は二回増築していますが、今の三分の一ぐらいの大きさです。今では考えられないのですが、当時こんな大きな箱物を造って大丈夫かいなと心配していました。

それから、二十数年本社の社員・パートさん、東京支店、ネット販売と気が付けば、四十名を超える人達と仕事をしています。お客様も80%近く変わりました。良くも悪くも、お客様も社員も全部把握できなくなってきました。父は今も元気に会社へ来ていますが、どう思っているのでしょうかね。

まとめ

「身の丈以上に会社を大きくするな。」

「会社の規模の大小ではなく、汗をかいて頑張っているお客さんや協力業者さんを大事にしろ。」

「仕事は王道で」

など様々な事を言い続けている両親ですが、35期も愚直に地道に頑張っていきます。今期もよろしくお願いします。